お悩み・お困りごとはご相談ください

多くの人が、ただ黙っていましても、
湧き上がる喜怒哀楽の想念、心配心、不安感、
などに自分の心をすり減らしています。

黙っていても、じっとしていても、横に寝ていても、
湧き上がる自分の想念のために疲れ、漏電し、楽しく成れません。
このような湧き上がる想念の元をたどって視ますと、すべての思いの奥に、「私が」という思いが在りました。

「私が」という主語の思いが在る限り、悩みは尽きません。
具体的に言いますと、
「私がしてあげたのに・・・・」
「私だけが苦労している・・・・」
「私が食わせてやったのに・・・・」
「私だけが働いている・・・・」

こういう「私が」の思いが強く成り過ぎますと、
・ 自分の口から悪口が出てしまう。
・ 仕事も辞めてしまう。転職ばかり。
・ 家庭でも、夫婦喧嘩が耐えない。離婚の原因にも成る。

「私が」は、不幸を呼ぶ思いと言えます。
「ワタシ蛾」が、自分から飛び始めれば、注意です。

ところで、昆虫の蛾(が)のことを、神様はどうして、こんなにも不気味なものを創られたのか? と言う人がいます。
でも、神様が創るものに、一切のムダはありません。必ず意味があるものです。
きっと、「私が」という思いも、蛾のように醜い思いなのでしょう。

「私が」という思いが、消えて行けば、
「全体が」「みんなが」に変わり、
他人の幸福を、自分のことのように嬉しく思える心。
他人の不幸を、自分のことのように悲しむ心。
と成れることでしょう。

そういう人の思いは、神様に近い思い、と言えます。
そして、そういう思いこそが、様々なことを産み出すのです。幸運を呼びます。
自分で願わなくても、様々な幸運のほうからやって来ます。

「私が」が強い思いは、不運と貧乏を呼びます。
「私が」が無い思いは、幸運を呼びます。

体調不良、不運が多い、思い通りに成らない、不満が出やすい、
と思えた人は、
自分の「私が」が出ていないか? 強くなっていないか?
これを静観してみてください。